えもぷのまだまだ頑張る日記。

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えもぷのまだまだ頑張る日記。

失恋したての独身30代女性が人生をバラ色にするため、日々頑張る日記です。 何もお役に立てませんがよろしくお願い致します。

ハタチの思い出。

思い出を語りたい!

おめでとう!いっぱいお酒を飲むんだよ。

今年成人を迎えた皆様、おめでとうございます。

これから人生長いですが、その時その時、今しかできないことを楽しんで生きていってください。
ちょっと間違ったって、楽しんで頑張って生きていればいつか何とかなります!

と、回り道だらけのBBAは語ります。ということで今日は自分の思い出語りをしようと思います。

わたしとハタチ。

19才、白馬に行く。

今から15年前のこと。わたしは学校を辞め、ありあまったエネルギーをどうしようかうずうずしていました。

そんなある秋の日。勢い余って、白馬にリゾートバイトをしに3ヶ月住むことにしたんです。ホテルに住み込みで入り、食事のサーブや客室の掃除をし、空いた時間にスノーボードを楽しみました。
それから、山とスノーボードにはまって3シーズンも白馬で過ごしました。

白馬には、30代になっても夏は地元で工場で派遣のバイトをしてお金をため、冬はみんなでまた大好きな白馬に集う、そんな人達がいっぱいいました。

どこを見ても「フリーター」ばっかりでした。山が好きすぎて地元を離れて、白馬に住み着くようになった人もたくさんいましたが、出会った人たちはみんなアルバイトでした。

周りにはお坊ちゃんお嬢さんの大学生の友達しかいなかったわたしには、そのゆるーい世界が衝撃でした。ああ、こんな生き方もあるんだなーと。なんだか面白いぞ。居心地がいいぞ。自分が知っている世界がちょっと大きくなったような気がしました。

最初の1年目こそはホテルでバイトしながらの生活でしたが、2年目と3年目はまさに無職で冬を過ごしました。

ボットン便所付きユニットバスの1軒屋に男女8人で住んでいたのはいい思い出です。自分の空間なんて自分の寝るスペースだけ。木でできたその家は、カメムシが家に大量発生していました。だけど、みんなで住んでみんなで遊ぶ、楽しかったです。

今はさすがにできないと思うけど、当時、今のわたしと同じ年くらいの人たちも一緒だったもんなぁ。すごい世界だ。

友達と住むのもそうだけど、滑りに行くのも家でぼーっとするのも本を読むのも何するのもひたすら自由っていう環境も、いままでやったことがなかった生活環境で、そういった白馬の生活からわたしは何かすごい影響を受けたような気がしますね。

成人式 or 海外?

そんな多感な時期。白馬2年目だったと思います。わたしは成人式を迎えます。

着物を着たり写真を撮ったりするんだろうなー、なんてちょっとわくわくしていたのですが、その時に母がこう言ったんです。

「えもぷちゃん、成人式なんて着物も高いし、お金がかかってもったいないじゃない?成人式にお金をかけるんじゃなくて、そのお金でどこか海外でも行ってきなさいよ!」

わたしはこう思いました。ほほう、ママはわたしが海外に行くお金をくれるのか。。そうか。じゃ、着物もいらないし、写真もいらないな!成人式はしない!だって海外にいきたいもん。
流行りのワーホリかなんかいってきちゃおっかなー。なんて。

っていう訳でわたしのハタチの記念写真はありません。お祝いの類いはなーんにもしませんでした。

ただ、わたしの通っていた高校では同窓会のような集まりが成人式の日の近くで開催され、みんな地域の成人式にはいかないけど、その集まりに着物を着るっていう子がたくさんいました。わたしはその集まりに着物で出たいなと思いました。

けど、ママからは出してもらえないし(だってお金をくれるって言ってるのに今着物を出してもらったらその話がなしになっちゃう)自分で借りるのもお金もったいないなーー。どうしよう。

そんな話をしていたら、地元の1コ上の友だちがこう言うのです。

「あたしんち、おねえちゃんが成人式の時におかあさんが着物を一式買って、それ余ってるよ。あたし去年着たけど、今年は誰も使わないよ。貸してあげようか?」と。

やった♪ 着物ゲットです!

ピンクの似合わないハタチ。

無事にこんな感じで着物をゲットしたわたし。高校の集まりには無事に着物を着て出席する事ができました。

でも、あとあとこの日の写真を見ると似合わないな〜って思いますね。
高価なものをこんなクソガキに貸してくださった友達のご両親には感謝しかないのですが、このピンク、わたしには似合わない、、

じゃん。14年前。

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思い返せば、この頃は、ほんとうにエネルギーがあったなー。自分に絶対的な自身があって何があっても絶対に成功する!って思ってました。

いろんなものに反抗しつつ、学習しつつ、吸収しつつ、自分の考え方や生き方の基礎を作っていった時期だったんじゃないかな。自分のスタイルの基本が固まってきた時期というか。そういう感じだったと思います。

そして海外には、、

成人のお祝いをすべて辞退して母からの現ナマを待ち続けたわたし。待てど暮らせどお金が出て来る気配がないので、ある日ふっと母に言ってみました。

「ねー、成人式のお金ちょーだい。雪もなくなったし、そろそろ海外にいこうと思う」

すると母は烈火の如く怒りました。
そんなことは言ってない、勘違いするな。
お前の遊学に払うカネはねーーーーーーーっ!!

(*_*)(*_*)(*_*)
それから何ヶ月か、わたしは母と口をききませんでした。。

あーあ、成人のみなさん、「言った言わない」は多大なトラブルを招きます
メモしてください!
重要なことは、きちんと書面にするか、口頭で何回か確認を取りましょう。

えもぷのその後。

わたしはその後も冬を白馬で過ごし、夏はテキトーにバイトして過ごすいう生活を続けていました。
転機は、22才を迎える直前の春。白馬。
雪がほとんどなくなってほぼハダカになった山をリフトで上がりながら自分の将来を考えてたんです。(やっとね。)

「わたし、どうする?このままここにいるフリーターの人たちと過ごす?年中パーカーとスウェットだけ着て山で暮らす?」

「うーーん。無理。でもいますぐ就職とかやだ。バイトだけってのもやだ。どうしようね。」

「ってことは、、、大学行こ!!そうだ、これから大学生になってみよう。卒業したら就職すればいいじゃん。とりあえずあと4年のうちになんとかなるっしょ。
うん。はやく山から下りて東京に帰って受験勉強しよ」

「大学に入る」と決めた瞬間の、リフトから見たゲレンデと山の景色は今でも覚えています。なんか急に人生がやっと一歩前進したと思えた瞬間でした。

ってことで東京に戻ったわたしはゴールデンウィークから大学受験の勉強を開始。22才の1月にセンター試験を受けて、現役生から遅れること4年。大学に入学したのでした。

その後の思い出はまた今後書くとして。

まとめ。的な。

わたしは人よりも回り道が多いと思います。何周も何周も回ってみないと自分が定まらないようです。

でも、その回り道も無駄ではなくて、きっと自分にいい爪痕を残してくれているはず。と思うんです。器用に上手くは生きられないけど、それだけ回ってきただけの価値は絶対にあると思います。

だから、若い方には、「その時その時、今しかできないことを楽しんでください」と言いたいです。楽しんでやっていれば、あとあとそれが回り道だったと思えても、きっと後悔はしないと思います!

 

長くなっちゃった。

つづく、かおしまい。